1998年10月5日,チューリッヒを経由してスイス航空でイスラエルの首都テルアビブに着いて,初めてのイスラエルの土を踏む。折しも,イスラエルとパレスティナの和平交渉が,米国オルブライト国務長官を迎えて,テルアビブの南エレツ検問所で行われようとしていた。ガザに入るエレツ検問所のチェックは厳重を極め,一般のタクシーの通行は認められない。イスラエルには,元々イスラエル領内にすんでいたアラブ人がいて,彼らが運転する場合は比較的簡単に通行が認められる。ガザ地区に住む人々は,例外を除いてイスラエル領内には入れない。軍事力にものを言わせたイスラエルの横暴ともとれるし,事実パレスティナ人は厳しくイスラエルのやり方を非難している。それでも,アラブ諸国に囲まれて,激しい嫌イスラエルの中で生きて行くには,このような阻止を取らざるを得ないとも言える。エンテベ空港での人質救出事件やイラクの原子炉爆撃事件に見られるように,断固としたイスラエルの態度が思い起こされる。今回出会ったパレスティナ人の一人は,「このような状態が長く続くわけがない,歴史を見れば分かるように,20年後のイスラエルがアメリカの支持を失った状態を 考えてみなさい」と言っていたが,混乱の歴史の中で生き抜いてきた人々の激しい感情が理解できる。
ガザ地区の入り口,エレツの検問所をイスラエル側から見る
Grand Beach Hotel から海岸方向を見たテルアビブ市街
ガザ地区の難民キャンプ,既に50年の歴史があって普通の町並み
テルアビブよりヨルダン西岸を目指し山岳地帯にかかる
イスラエル側のフリーウェイ
エルサレムのハイアットリージェンシーから見たエルサレム新市街
北部のナブラス付近,米国在住パレスティナ人の豪邸
自治政府は,イスラエルの入植に対抗して支援
古いオリーブの木,200年だそうだ
長い歴史の一部を知っている